"Hard Times, Come Again No More"

 ヒロさんのブログを読んでいたら矢野顕子のアルバム「WELCOME BACK」のことが書いてあったので、その収録曲 "Hard Times, Come Again No More" について。

 私は、無力感に襲われたときにこの歌を聴きたくなったり口ずさんだりします。

 世の中にあるいろんな不条理*1をまともに見てしまったとき、怒りや憤りといったパワフルな感情が湧いてくるとは限りません。とても自分の手には負えないと感じ、自分にはこの現状を変える力なんか無いのだと思ってしまうことがしばしばあります。
 それは、たとえば親しい人の死*2という具体的で強烈な形をとることもありますが*3、ささいなことの積み重ね*4による疲労骨折的なダメージのことも多いです。
 それを不条理だと思うのなら、根本的な解決策はそれを正すことしかありません。
 それができないなら、不条理そのものに目をつぶるか、「どうせ世の中はそんなもの」と諦めて*5日々をやり過ごしていくしかありません。
 でも、そのどっちもできないときがあります。世の中ぜったい間違ってるという確信があって、でも自分には何の力もない。その板挟みになって自分が押し潰されそうな気がしたり、死んだら楽になるのにとうっかり考えてしまったりします。どんなに祈っても結局また「辛い日々」はやってくるに決ってる。

 そんなとき、この歌を口にします。すると少しだけ、気持ちが楽になります。いまは何の希望が見えるわけでもないけど、いつか見えてくるかも知れない。そんな根拠の無い「救い」を信じられる気がするようになります。不思議な曲です。

 だから矢野顕子の曲の中でも一番好きな曲の一つです。「矢野顕子の」と言っても実はこれはかの「アメリカ民謡の父」フォスター*6の曲のカバー*7なのですが、私は矢野顕子以外ではこの曲を聴いたことがないので、彼女の歌声とピアノの音色を全部ひっくるめたものが私にとっての "Hard Times, Come Again No More" というわけです。

*1:それは主にセクシュアリティに関することが多いのですが。強制異性愛社会を感じるときとか。

*2:念のため、私の両親の死はこれには当たりません。

*3:失恋も、私にとっては不条理の問題ではないのでこれには当たりません。

*4:テレビやマスコミで繰り返し流される『ホモネタ』、帰省するたびに近所の人や親戚の口から出る『嫁さん問題』とか。

*5:それを「達観」と言うのでしょうか。だとしたら私は達観したくないです。少なくとも自分がゲイであることで起きる世間との軋轢については。

*6:Stephen Collins Foster, 1826-1864。ちなみにフォスターはゲイだという「噂」があるみたいです。それを裏付ける史料は残っていないらしいので、私は何を根拠にこの「噂」が出たのかに興味があります。

*7:古典について「カバー」という表現を使うのかしら?