身体を変える、ということ

 前から思ってたこと。僕が「トレーニングして体重10キロ増やしてボインになるんだもんね!」って頑張るのと、整形手術するのと、あるいはTSな人がSRSを受けるのと、どこが違うんだろう?
 手術する/しないの違いはもちろんあるけど、でもそれは、自分の望む「身体の変化」がたまたま「手術じゃないと実現不可能なこと」だったか、そうじゃないかの違いじゃん?
 それとも、違和感の程度の問題? でもそれは、同じTSの人でも人それぞれ違うみたいだし、マッチョ志望者にしたって、僕みたいにこの歳になってたまたま時間とお金ができて初めて肉体改造に取り組むヤツもいれば、「バキバキの筋肉つけないと生きてられない」くらいに強い動機付けがあって、身体に害があると分かってても筋肉増強剤を使わずにいられない人もいるかも知れないじゃん?
 だから何だって話なんだけど。

 SRSとか戸籍の性別訂正の話では、「TSという特殊な人」という面ばかりが取り上げられて、「望む物へのアクセスが社会によって妨げられている人」という普遍性が取り残されているような気がして。そういう時期・戦略というのは、あるにせよ。
 人が何か望む物を手に入れたいと願う時に、社会がそれを妨げるのなら、その「妨げ」の普遍性についても僕たちはもっともっと話し合うべきじゃないかと思うよ。