歌のわかれ・歌のであい

 今を去ること20年ほど昔、中学生から高校生にかけてはラジオの深夜放送(オールナイトニッポン、セイヤング、パックインミュージックなど)にハマっていて、洋楽邦楽を問わず色々聴いていたもんです。でもここ10年ほどめっきり音楽、特に邦楽を聴くことが少なくなりました…っていうことをふと思い出し、なんで「歌」を聴かなくなったんだろう? などとつらつら考えてみたことをまとめてみました。

 中学・高校生だった当事、特に中島みゆきをよく聴いていました。中島みゆきオールナイトニッポンが始まったのが1979年の春で、おりしも私が自分がゲイであると自覚した頃と一致しています。自分と周囲の関係で悩むことが多い思春期の例に漏れず、私も人並み(以上?)に人生について悩みまくりました。何よりも、ゲイである自分に正直に生きることと、「普通に学校に行って普通に就職して普通に結婚して」という「まっとう」な道を歩むことがどうしても相容れないものであるとしか思えなくて、かと言って「人並み」であることが最大の価値である家庭で生まれ育った自分に「人並み」以外の人生を切り拓いていくバイタリティがあるとも思えず、それじゃあ一体どうやって生きていけばいいのか皆目見当もつかないまま途方に暮れていたというのが当時の私でありました。
 そんな私にとって中島みゆきの歌とラジオ番組は数少ない自己肯定のための命綱だったのです。中島みゆきのことをあまり知らない人にとっては「わかれうた」をはじめとする失恋歌・怨恨歌があたかも彼女の代表曲のように思われるかも知れませんが、実は彼女の歌には「人生の応援歌」がとても多いのですね。もっともこれは中島みゆきに限ったことではなくて、他にも矢野顕子(『GREENFIELDS』:アルバム「オーエスオーエス」収録)とか山下達郎(『いつか(SOMEDAY)』、『夏への扉』:アルバム「RIDE ON TIME」収録』*1)とかの歌の中に私は一筋の光を見出していました。

 でも結局、私にとっては歌は歌でしかありませんでした。
 慰めや勇気や自己肯定を与えてくれる歌であっても、当然ながらそれが具体的に「普通に就職しない生き方」を指し示してくれるわけでもありませんし、「ゲイとして生きること」のロールモデルを与えてくれるわけでもありません。そう、私が必要としていたのはロールモデルであり、「ゲイであること」に即した人生のハウツーだったんです。田舎で家族と一緒に暮らしていて、経済的に自立しているわけでもなく、もちろんインターネットも無い時代。高校生にもなると「薔薇族」をはじめとするゲイ雑誌を買うこともできるようにはなりましたが、当時のゲイ雑誌は基本的にエロ中心のもの(「薔薇族」「さぶ」)か、あるいは遠い海の向こうのゲイ情報を紹介するもの(「アドン」)で、日本の片田舎の思春期のゲイの男の子の人生の現実的なお手本として使えるものではありませんでした*2
 紆余曲折があって、世間で言う「思春期」の年齢をとっくに越えた頃になってようやく私は「自分を救うのは自分である」という諦めにも似た結論に達した…っていうか自分の肝に銘じたのですけれど、それは同時に「歌」というものの限界を強く意識することでもありました。逆に言えばそれまで「歌」に過大な期待を寄せていたことの反動でしょうか、それ以来私は「歌」に期待せず、「歌」と距離を置いて付き合うことになります。*3
 いや、この表現はちょっと違うな…。距離を置いたというより、付き合い方が変わったという方が正確かも。メッセージ性の強い歌詞の楽曲よりも、もっと抽象的な、左脳よりも右脳=感覚や感情にダイレクトに訴えかけてくるような歌詞やメロディに惹かれるようになったというべきなのかも知れません。

 そんなわけで「メッセージゾング」と距離を置いたつもりになっていた私でしたが、20代も半ばを過ぎてから一人のアーティストの「メッセージ」にヤられることになります。それは槙原敬之の「どんなときも。」でした。(なんだかそのまんま過ぎて気恥ずかしいわぁ(^_^; )
 って言うかねえ、初めて聴いたとき、「この歌ってゲイの歌なんちゃうん?」とピンときたのですね。それはゲイダーが察知したと言うよりは、いまどき(10年以上も前のことですが)「僕が僕であること」にこだわる理由(裏を返せば「僕が僕であること」に困難を感じている)なんてセクシュアルマイノリティであることが一番「ありがち」だからという、論理的思考の帰結です。後にこれが正しかったことが証明されるのですよね。それが他のメッセージソングと決定的に違います。何よりもゲイである人がゲイであることについて作った歌なのですから*4。ストレートの歌をゲイの歌に読み替える必要がないことの快感は、経験したことの無い人には分からないかも知れません…たとえて言うなら、ハイヒールの靴を履きたいのにサイズの合わない女物のしかなくて無理やり履いていたのが、やっと27センチの(10センチのヒールの金ラメの)靴が手に入ってそれに足を入れた瞬間のような快感…って譬えが特殊すぎましたね*5
 「どんなときも。」が流行った当事、友人の一人が「そんな当たり前のことを歌った歌が売れるなんて!」と憤っていたのを思い出します。「僕が僕らしくある」なんて当然のことで、わざわざ歌にして世に送り出すほどのことじゃない、とその友人は言うのです。それを聞いたとき、私は「こいつとはお互いに理解し合うことは無理かも知れないな」と思いました。その頃私はまだ学生で*6、カミングアウトもほとんどしていなかったので、当然ながらその友人は私がゲイだと知りませんでした。今の私なら、「自分が自分らしくあるために凄い勇気や決意が必要なこともあるのだ」とそいつに教え諭すところでしょうけどねえ。
 話は現在に戻って、マッキーの場合はあんな事件があった後も公にはカミングアウトしてないあたり歯がゆさを感じなくもありません。個人の自由ですから仕方ないことだし、同じような立場のジョージ・マイケルとつい比べてしまうのは、カミングアウトの受け皿としての日本と欧米の社会の違いを考えればマッキーには酷なことなのかも知れませんけど…。

 
 今、新譜が出たら必ず買うアーティストはごく少数、吉田美奈子矢野顕子くらいなもんです。もっとも、それ以外のアーティストをよく知らないからというのが一番の理由。TVの音楽番組はあまり見ないし、見てもいまどきの流行歌の中で私のお眼鏡にかなうアーティストにはなかなか出会えません。でももし新しいアーティストに出会えたら、それはすごく素敵なことだと思います。
 私はいま思春期の頃とはまた違った意味で人生を模索している最中です。歌とは距離を置いて付き合っているけれど、でも時には歌の助けも必要なこともあります。昔と違って、歌の力で乗り切ろうとするのではなく、歌の中に自分の初心を見つけてそこから力を引き出すことが今の私にはできるような気がします。大切な友達のことや、死んでしまった友達のことや、ごくたまにだけど経験する、息を呑むほど綺麗な瞬間が人生にはあるのだということを思い出すために、歌はちょっとだけ役に立つのだと思っています。

*1:このアルバムの多くの曲がそうなんですが、二曲とも作詞は吉田美奈子なんですよね〜。当事は知りませんでした。私が吉田美奈子というアーティストとあらためて出会うのはこのアルバムの二年後です。

*2:今では後発のゲイ雑誌(「バディ」や「G-men」)が等身大のゲイライフ(として現実味のあるもの)を提示するようになっていますよね。

*3:先日書いた、私のフィクション(小説)離れもこれと同じ理由かも知れません。

*4:もちろんマッキーの曲のすべてがゲイであることについて書かれたものではないし、優れた楽曲の常として性的指向を超えた普遍性を備えていることは言うまでもありません。

*5:私は知る人ぞ知る汚れ系ドラァグ・クィーンでもあります。

*6:私の年齢からすれば計算が合わないと思われる方もいらっしゃるかと思いますが、私は人より遅く学生になって、さらに人より長く学生をしてましたので、計算は合っているのです。