フィクションの効用について考え直す

 考えれば考えるほど、人生って儚いと思えてきます。(ウツ病だから)
 明日にも、っていうかこの瞬間にも、何かが起きて私が死んでしまう可能性なんて山ほどあります。ニュースを見てたら毎日そんな事ばっかり。事故とか殺人とか病気とか。どれも不条理なことばかりに思えます。(ウツ病だから)
 今日も自転車で街中を走っているときにふと若くして亡くなった友人のことを思い出し、彼の死が悔しくて悔しくて、「チクショー! チクショー!」と心の中で叫びながら泣いてしまいました。
 そんなときの虚無感というか厭世観は理屈ではどうにも救いようの無いものなんです。理屈で言えば誰だって明日をも知れぬ命なんだもの。なんとかっていう社会学者(名前忘れました。東大出の有名な若い学者さん)宮台真司流に言えば、私は既に「社会の底が抜けている」ことに気づいてしまっているのですから。

 そんな救いのない(と思ってしまうのはウツ病だから)世界にポツンと立ちすくんでいる自分のことを考えるとき、「じゃあせめてその儚い人生を精一杯生きよう」と思うのか、それとも「どお〜せいつ死ぬか分からないんだから」と自堕落な生活に居座ってしまうのか、その境界線はどこなんだろう?と常々考えているのですが、今日ぼんやりとTVを見ていたらその答えが分かったような気がしました。
 ちょうどお昼のワイドショーでファッション・チェックをやっていて、それが時節柄ビーチでのロケだったんです。湘南とおぼしき砂浜で、林マヤが女性の水着をチェックしてました*1。そのBGMがね、浜崎あゆみの「Greatful days」だったんですわ。「短い夏が 始まってゆく…」っていう夏っぽいアレ。それを聞いた瞬間、ただただ単純に「夏を目一杯に楽しみたい〜!」と思ったんです。正直言って私はあゆの曲は全般にあまり好きじゃなかったりするんだけども、にもかかわらず理屈抜きで(ここが大事)この曲のポジティブな雰囲気に救われたなと感じました。
 今風(?)に言えば、感情にダイレクトに届くポジティブなヴァイブ。
 それは音楽じゃなくても、小説でも映画でもいい。フィクションというジャンルでくくれるものが持つ、現実や理屈を越えて押し寄せてくる力が今の私には必要で、かつ今の私には欠けているものなのだと思います。

 音楽を聞くこと。小説を読むこと。映画を見ること。クラブで踊ること。セックスをすること。歌うこと。ジムやテニスで体を動かすこと。美味しいものを食べること。
 そういうことを通して私は前向きな気持ちを取り戻していくことができるんじゃないかなあ。

 …でもイザとなるとそれが億劫なの。うつ病だから(^_^;
 なんとかならないものでしょうかねえ?

*1:なんで男の水着チェックはしないんだあ!