「私はなぜHをするのか」

 「少女たち」と「ゲイである私」を並べることに何の意味があるかはよく分かりませんが、一つのサンプルとして。
 10代の頃ってセックス*1したくてしたくてしようがなかったですね。でも相手をどうやって見つけたらいいかわからなくて。田舎のノホホンんとした高校生だったから、男好きの人が集まるような場所も知らなかったし。高校生になってゲイ雑誌を買うようになると文通欄という選択肢も出てきたわけですが、今みたいに携帯とかインターネットのない時代でしょう? 文通欄を利用するとしたら連絡先として自宅(家族と一緒に住んでる)の住所とか本名とか電話番号を教えないといけないし、でも見ず知らずの人にそいういうことを教えるのも怖かったですから、やっぱり利用する勇気はなかったですね。やりたいのにできない悶々とした日々でしたよ。友人の中には、中高生の頃に同級生やら先輩やら大人の人相手にやりまくってたって人もいますけどね。そういう話を聞くと悔しいですよ。あの10代のエネルギーを実際にセックスに使えたらさぞや素晴らしい日々だっただろうと。今はもうそこまでの欲望も体力もありませんからね〜。機会があったとしても「酒池肉林」なんて無理ですよね。
 最初に他のゲイの人と知り合ったのは大学に進学して一人暮らしを始めてから。パソコン通信(インターネットの前身ですね)がキッカケです。これでも電脳オカマの走りだったんですよ。それで何人かの人と知り合ったのはいいんですが、結局そのうちの誰もタイプだなっていう人はいませんでした。それでも当事二十歳そこそこのヤリたい盛りですから、そのタイプじゃない人の一人となんとなくそういう機会があってやりました、H。相手も初心者ですごく下手(マグロ)で、こっちはとにかく人のチンコを触りたい、相手がイクところを見たいっていうのがあったから、初体験なりに一生懸命やりましたけど、自分は何もしてもらえなくて。っていうか、相手をイカせたらもうこっちのテンションが下がっちゃって。もともと好きでもタイプでもない相手ですから、相手がいっちゃたらもうその場を離れたかったです。後悔というか、いっそ無かったことにしたかった。その人とはその1回限りでした。遠距離だったんでこっちにその気が無ければもう会う機会も無かったです。今でも二度と会いたいとは思いませんねー。
 その後もまた別の人と知り合って何回かHしました。相手の人は遊び人で私以外にも定期的にHしてる相手はいたみたいです。このときは恋だと思ってたんですよね。確かにタイプだったし、私の中に嫉妬みたいなものが生まれたりして、ちょっと辛かったですけど、「ああ、自分はこの人のことがそんなに好きなんだ」と思ってました。でもね、今思い返してみるとあれは恋じゃなくてやっぱりやりたかっただけなんじゃないかなと。嫉妬だって、それは「自分以外の相手とその人がセックスしている」っていうことに対する嫉妬じゃないんですよ。その証拠に、たまたま機会があってその人ともう一人の人(彼のセフレの一人)と私で3Pしたことがあるんですけど、それは嫉妬どころかとても楽しかったですから。だから嫉妬というより寂しかったのかなあ。「その人がセックスしている現場に自分がいないっていうことがイヤ」みたいな。構ってもらえることが嬉しい。自分が知らないところで彼が楽しい思いをしているのがイヤ。そういう感情です。たぶん構ってくれる相手がその彼じゃなくても良かったんですよね。
 その彼との関係が続いている合間に、さらに別の人とちょっと付き合ったことがありました。ちょうどゲイバーに出入りするようになった時期で、お店で口説かれたんです。8歳年上の既婚者で、タイプだったかどうかは疑問ですが、とにかくすごいテクニシャンで。色んなことをしてもらって、セックスが心底気持ちいいと思えたのはこの人が最初じゃないかなあ。それにアナルセックスのときにコンドームを付けてくれたのもこの人が最初。その前の彼とは生アナル&中出しでした。いま思えば怖いですよね〜。AIDS/HIVのことは知識としては分かってましたけど、現実味がないというか、危機感なんて全然。
 その既婚者さんとは結局長続きしませんでした。相手に家庭があるし、ちょうどバブルな時期で彼の仕事もメチャメチャ忙しかったりしてなかなか合う時間が取れなかったのが理由です。その後は単発的に飲み屋や文通欄で知り合った人とHしてました。初めてSTDに感染したのはこの頃かな〜。クラミジアです。時期的に心当たりのある相手とはオーラルセックスしかしなかったのに感染しちゃって、それで病気は怖いなあと思うようになりました。やっぱり一度は痛い目を見ないとダメですね。それでもその後も(今でも)キスとかフェラは生でやっちゃうことが多いかな。懲りないですよねえ。
 
 この頃の自分が相手に何を求めていたかを思い返してみると、いわゆる恋をしていたことはほとんど無かったような気がします。とにかくセックスしたかったってのが大きいような。ただ自分ではそういうことを意識してなかったですよね、自分が本当は何をしたいのかとかって。それが分かってきたのはようやく30歳を過ぎる頃になってからで、その頃から「私はとりあえずセックスがしたいのだ」ってことを自覚するようになりました。ちょうど伝言ダイヤルが全盛期を迎えていた頃で、私もようやく携帯電話を持つようになったので、出会いはもっぱら伝言。文通欄に比べるとずっと簡単で、やりたいその日のうちに相手が見つかる(いつもではないけど)のが良かったです。
 で、恋愛は脇に置いといてとにかくセックス!っていう自分の方針が定まってからは、本当に楽になりました。自分のタイプがどんなのかってこともハッキリしてきたし、相手がタイプじゃないからという理由で断ることにも抵抗や遠慮がなくなったし、セックスだけが目的の付き合い(あるいは、それを求める自分)に変な罪悪感を持つこともなくなったし。楽しい時代でした。でもその楽しい時代も長くは続かなくて、って言うのが伝言ダイヤルで知り合った人たちの一人とウッカリ(最初はそんなつもりがなかったので)付き合うことになっちゃって、それに色々な事情があってその人と同棲するようになって。別の意味での楽しい時代の始まりですね。セックスから始まる恋愛もあるんだなっていうのを始めて実感しました。誰かと一緒に暮らすことの楽しさも経験できて良かったです。

 その同棲は約5年続きました。同棲の解消のきっかけは、やはりHに関係しています。長年の同棲の間に二人の関係が「恋人」から「家族」に似たものに変化してしまって。「家族」とHするのは変でしょう? だから仲は良いんだけどHしなくなっちゃったんですよね。でも二人ともHしたくないわけじゃない。だから最初は同棲したままで(ルームメイトということで)恋人を外に作ろうかとかっていう話し合いもしてたんですが、やっぱり色々な事情を考慮すると別々に暮らしたほうがスッキリするだろうということになって、それで別居しました。
 それで今に至るわけですが、いまの私は、単にセックスするだめだけの相手をそのつど探すということもメンドクサイなあと思うし、だからって恋愛関係に浸りたい気持ちがそんなにあるわけでもないし、という半端な状態ですねえ。気心の知れたセフレっていうのが理想なのかもしれません。でも、気心の知れたセフレを作るっていうのも一朝一夕にできるわけではないですから。もしかすると恋人を作るのと同じ程度には難しいのかも?とも思います。それに加えて私のウツ(の治療薬の副作用)で一時的に性欲が減退したりしたもので、恋人探しもセフレ探しもいまひとつ気合が入らないというのが正直なところ。だから、ご縁があればって感じです。もしかして歳のせいなのかな?

*1:当事はまだ性行為を表す「H」という用語はありませんでした