分断する力 融合する力(昨日の続き)

 もしも私の身近な人がオネエ(オカマ)フォビアだったとしたら、その人がゲイであれノンケであれ女性であれ男性であれ、できればそれを克服してもらいたいと思います。それは何より私自身にとってそのほうが楽だからに過ぎません。もちろん、その人自身にとってもオネエフォビアは無くした方が楽に生きられるとは思うんですけど、私もそのために一生懸命働きかけるほど思いやりに溢れた人間ではありません。仕事上の付き合いの人が相手なら少しは何か働きかけをするかも知れませんが、そうでもない限りはオネエフォビアな人とはなるべる付き合わないことで余計なエネルギーはなるべく使わずに暮らしたいと思っています。
 逆に、オネエフォビアの無い人、あるいは逆にバリバリのオネエテイスト(言葉の対照性を考えると「オネエファイル」と言うべきなのでしょうか*1)の人とは打ち解けて付き合える可能性がとても大きくなります。別に「同類相憐れむ」というようなネガティブな引力というわけではなくて、「この人分かってる!」というプチ感動みたいな
ものを感じることができるからです。

 気をつけないといけないのは、オネエテイストな人がみなオネエファイルというわけではなく、オネエのオネエ嫌いとでも言うべき人だっているのも事実。それに私自身にしてもオネエフォビアがまったく無いかと言われれば、無いと言い切れる自信もありません。ただ、そんな自分や他人のオネエフォビアに常に敏感でいるこによって、自分がより生きやすい環境を作ったり選んだりしていくことができるんじゃないかなと思います。

 うーん。なんとか書き終えましたけど、日が開くと集中力を欠いてまとまりの無い文章になりますねえ・・・

*1:「〜ファイル」で「〜好き」「〜ひいき」という意味になります。