備忘録
私はやっぱり阿呆の怠け者です。
土曜日は下関のお友達Kさんが大阪に遊びに来ていたので、夕方に待ち合わせをして堂山で食事をした後、ゲイバーに何軒か行きました。Kさんは30代ガチムチが好きなので、そういう子がいそうなお店を回ったのですがあいにくお目当てのタイプはいなくて、日曜日はもう下関に帰らないといけないKさんは午前3時くらいにホテルに帰って行きました。
私はといえばまったく飲み足りていなかったので(昨日の今日だというのに)焼酎バー「ガルーダ」に寄って、それから「ヴィレッジ」に移動して朝まで飲んでいました。連日のように飲み歩いては酔っ払う自分に、「またかよ」という思いは飲んでいる最中から頭の中を巡っていましたが、やがてハタと「ああ、私は寂しいのだな」と思い当たりました。
バーの喧騒の中に身を置いていると安心するのです。逆に言えば、一人で家にいることができない。自分の寂しさややり場のない思いに直面するのが怖いのでしょう。
伏見さんの「さびしさの授業」でも買って読もうかな…。
そんなことを考えながら帰る夜明けの道すがら、JR環状線の福島駅前を通りかかったら、いつもこの場所にいる「BIG ISSUE」の販売員さん*1がもう仕事をしているのを見かけました。
真冬の朝6時ですよ! しかも日曜日の! しかも福島駅前で!*2
こんなに真面目に働く気持ちのある人がいわゆるホームレスな状態におかれているのに、こんなに不真面目にいい加減な暮らしをしている自分。ショックでした。でも、だからと言って「じゃあ私も頑張って働こう!」という気持ちになれるわけでもなく、なんだかこのまま煙のように消え入ってしまいたいような、萎え萎えな気持ちになりました。自分のド阿呆さ加減に本当に嫌気が差したというか。
先日、ある友達と自殺について話をしました。彼もウツ持ちで、仕事の上でも色々と大変な思いをしていて、ときどき電話やメールでお互いの心境を語り合っています。彼も私もシンドいけど自殺する勇気なんてないから、なんとか日々をやり過ごして行こうねという話。
自殺する勇気はないけど、もしもいま突然の交通事故とかで命を落とすことになるとしたら、それはそれで楽になれるのになというのが本音です。でもこういう人間に限ってうっかり長生きしてしまったりするんでしょうかね。
でもそれと同時に、せっかくゲイに生まれたのだから、この際「普通じゃない」人生を楽しんで生きないともったいないかなとも思います。借金も貧乏も、物語になってしまえばネタとしてオモロい話かもしれないじゃないですか。自殺はそんなオモロい人生にみすみす早い幕を下ろすことになるんだから、ちょっともったいないんじゃないかな? という風に自分の人生を考えていくことが(常に)できれば、ウツでゲイで不安定な人生もまた楽しめるんじゃないかな。