帰りました

 今夜のお通夜を済ませて、末ちゃんと二人で新幹線に乗って大阪に帰って来ました。
 疲れたけど、お風呂に入ってひと心地つきました。明日は仕事に行きます。

 Tさんの顔は、まだ死化粧をする前に見ることができたんだけど、とても死人とは思えない血色のよさで本当に眠っているようでした。だから顔を見ても全然「死」という現実感がなくて。お通夜の席で、お棺を前に手を合わせていたらやっと涙が出て来て少し泣きました。
 お通夜では各地から駆けつけた色んな人や久しぶりの友だちに会うことができました。
 TさんとMちゃんの人柄が忍ばれる面子でした。


 TさんとMちゃんはもう10年来一緒に生活していて、いわゆる夫婦同然の関係だったのですが、でも法的にはMちゃんには何の権利も無くて、そうなると今後のMちゃんのことが心配ですが、岡山組のみんなが色々とセーフティーネットを考えていて、最悪の時にはどうすればいいか案を出し合っていたので、あとはMちゃんがどう腹をくくるかに任せるだけです。私には何もしてあげられないけれど。
 沖縄にいる私の元パートナーもいまかなり精神的・金銭的に追い詰めらた状況にあるので、そういう意味で、Mちゃんのことも併せて私がもっと経済的に自立した余裕のあるオトナであったらせめてお金で解決できることはしてあげられるのにと思うと、歯がゆく情けなく思います。


 今回岡山にいる間に、やめていた煙草をストレス対策のために一箱だけ買って吸いました。


 お通夜が終わって、お友だちの車で末ちゃんと二人、岡山駅の西口まで送ってもらったんですが、その時点で次の「のぞみ」の発車まであと3分。西口っていうのはだだっ広い岡山駅の中で新幹線搭乗口から一番遠い改札なんですよね。ものすごく急いでも間に合うか間に合わないか。
 すると末ちゃんが「走ろう!」と言ったので、私もわけも無く「よっしゃ!」という気持ちになり、在来線改札口を駆け抜け、新幹線への連絡通路階段を駆け上がり、新幹線改札口も走って抜けて最後に新幹線のホームへの階段を駆け上がるころには二人とも足はガクガグ、心臓はバクバク。それでも発車ベルが鳴る「のぞみ」車内になんとか転がり込めて、しばらくはデッキでゼイゼイ言いながら身動き取れない状態になっていました。お互い体力の無さを実感。でも、こうして全力で走ることで悲しみや不安を追い越せるような、なんだかそんな気がしていたんです。


 動悸がなかなか治まらないので、末ちゃんと「これで私が心筋梗塞にでもなったら洒落にならんな」という話をしました。が、後から考えるとこれは半分嘘で。もしもあの瞬間に私が心臓発作で命を落としていたら、私は幸せな死を迎えることができただろうと思います。
いま、何を遣り残したという後悔は特にありません。これからどうしても実現したいという大それた野望もありません。そのくせ心配や不安の種だけが常にある状態の私がいまここで死ねたら、それは本当に楽になれるということ。後に残った人には迷惑をかけるかも知れませんが、ほんとに、私はもういつ死んでもいいと思いました。ポックリと死ねる限りにおいては。

 でも多分まだ人生は続く。(仮定)
 そして生きていくにはお金がいる。
 一日一日をどう過ごしていくのか。休まずに仕事をすること。仕事を通じて何か自分の目標とすることを達成できるかどうか。それだけをまず考えて、やっていくしかないのだと思います。
 恋人作り・友だち作りも諦めているわけではありません。Tさんの訃報が入る前の日に、某出会い系サイトにまた投稿をしておいたら、何通か返事が来ました。そのうちの一人とは近々会ってみるつもりです。恋愛やセックスには及び腰になっている私ですが、それでも築けるなにらかの関係というものがあるのかも知れません、もしかしたら。
 そう、もしかしたら。