猛吹雪。あっけなく幕切れ。

 父が死んだ。29日午前2時半頃(書類上は2時51分)。肺炎。享年73歳。

 28日の昼はいつも通り一緒にご飯を食べた。家に帰って午後4時頃に主治医から電話があり、腸閉塞により吐瀉物を吸い込んで肺炎を起こし、危ないかも知れないから来てくれと。病室に着くと既に姉が来てて、父はゼエゼエっつーかゲロゲロというか痰が絡みっぱなしみたいな音を立てて肩で息をしていた。腕には肺炎対策の抗生物質の点滴、鼻からは吐瀉物を排出するために胃に通した管。口には酸素マスク。でも意識ははっきりしててマスク越しにいろいろ喋ってた。姉の話では、医者が中座した隙にいったん挿入された鼻の管を抜いて勝手に歩いてトイレに行ったらしい。・・・・バカ。その後看護士さんに見つかってベッドに押さえつけられたのだ。

 すぐに個室に移動。とにかく呼吸が苦しくて何度も姿勢を変えたり、ベッドの高さを上げ下げさせて楽な姿勢を探す。血中の酸素濃度と血圧は悪くなかった。何度か少量づつの吐瀉を繰り返した後に急に反応がなくなり、呼びかけても答えず目は開いていても動かない。看護士さんに「親族の方に連絡を」と言われ、従姉妹とおばちゃんに電話して、親戚一同に伝えてもらった。その後、昇圧剤が効いたのか意識を取り戻した・・・・のはいいが、今度はベッドから降りて自分でトイレに行くと言い張って効かない。歩くどころか座ることさえ難しいような状態だし、すでに尿道カテーテルとおむつがしてあるので、「頼むから我慢して!」と姉と看護士さんと三人で必死で制する。

 やがて諦めたのか、ブツブツ言いながらベッドに横になって、自分で体位を変えたり、ベッドの高さ(角度)を変えるよう訴えて自分の一番楽な姿勢を探しながら眠りについた。これが午前0時頃。姉と二人でベッドサイドの椅子に座ってウトウトしたり話をしたりしていた。一時間に一回程度、看護士さんが体位変えと痰の吸引に来てくれた。吸引をするたびに呼吸音が静かになってきたので、今日や明日にどうこうということは無いという気がした。外はすごい吹雪。天気予報では、今日は最低気温が氷点下5度、最高気温でも氷点下2度。

 明日からの付き添い、どうしようかなー。姉貴も仕事があるし、僕が布団でも持ち込んで泊り込みかなぁ。・・・・なんて考えながら時は過ぎていった