お祭りで思い出したトラウマ。

 小学生の2年生くらいのとき、秋祭りの日。姉貴が「りんご飴が食べたい」と言い出したので、母からお小遣いをもらって、僕が姉のと自分の分を買いに神社の屋台に行った。お目当ての屋台には人が並んでて、結構長い時間待って買ったと思う。で、僕がお金を払っておじさんがりんご飴を僕に渡してそれからお釣りをくれたんだけど、(後になって思えば)そのお釣りは僕の前のお客さんへのお釣りだったみたいなんだよね。おじさんが忙しさのあまりつり銭を渡すのが遅れてて、しかも僕の前のお客さんが(これも後で思えば)釣り銭をもらい忘れて立ち去ったらしい。で、僕がそれを自分の分だと勘違いしたわけ。

 とっさに釣り銭が少ないかな? とは思ったの。でも屋台での買い物に僕は緊張していっぱいいっぱいだったし(りんご飴の値段はいくらだったか忘れたけど、当時の僕には破格の贅沢品だったの!)、ちょっと恐そうな屋台のおじさんに「お釣りが少ないんじゃない?」と尋ねる勇気も全然なくて、「僕の暗算が違ってるのだ。お店の人が計算を間違えるはずがない」と自分を納得させて家に帰った。
 案の定、お釣りを受け取った母はそれが少ないことに気づいて、それはもう大変な剣幕で怒り出した。普段はあまり怒ることのない人なのに、お金のことになるとわが母親ながら驚くほど取り乱すことがその後もあった。今回の場合、釣り銭が少ないことに気付かなかった(簡単な暗算ができなかった)わが子が情けなかったのと、子供相手に釣り銭を誤魔化す屋台のおじさんに対する怒り(手違いとは考え付かなかったのね)との両方だったんだと思う。
 そんで母は「正しいお釣りをもらってきなさい」と言う。でも僕には屋台のおじさんに向かって「お釣りが違ってたから、足りない分を返して」なんて言うのはモノスゴク恐ろしいことでとてもできそうにない。それに、たかだか数十円のお釣りでギャーギャー言うのは何だかとてもみっともないことのような気がして。だから、ただ泣いて「できんよ〜」って言ってた気がする。
 最後には母は自分で屋台に行って、しっかりと釣り銭を回収してきた。

 泣きながら食べたリンゴ飴の味は覚えていない。それとも食べなかったのか。とにかく、お釣りの計算ができなかった自分と小銭ごときで逆上して屋台に乗り込んで行った母親への嫌悪感と、もちろん叱られたという事実で、楽しいはずのお祭りは一転最悪のキモチにまみれてしまった。

 もちろん母には母の理由があって、この時代は特に家は貧乏で、母は1円でも家計の無駄の無いようにすんごい苦労してたみたい。大人になってから友達と子供の頃のお小遣いとか外食の頻度とか、電気製品は何がいつ頃から家にあったかについて話をしてみると、我が家はかなり貧しかったのだなというのが分かる。
 そういう家庭ながらも僕がお金にわりとルーズな人間になってしまったってことは、結局は親が育て方を間違ったってことなのかな。