分断する力 融合する力

 深夜だしもう入眠剤マイスリー)飲んじゃった後で頭がボーっとしてきていますが、ちょっと触発されることがあって掻かずに書かずにはいられなくなったので、古典的テーマについての個人的経験を書いてみます。

 私がゲイだと自覚してから数年のち、私は高校生になりました*1。やがて通学途中の隣町の本屋でゲイ雑誌を発見し、少ないお小遣いのなかからお金を捻出して毎月買うようになりました。1980年代初頭のこと、当時その本屋で売られていたゲイ雑誌は「薔薇族」「さぶ」「アドン」「THE GAY」といったところでしょうか。その4誌の中で私が最も好んで読んでいたのが「アドン」でした。エッチな写真やエロ小説なら「さぶ」や「薔薇族」の方が過激だったと思います。それに比べて「アドン」の魅力は海外=アメリカの、つまりゲイ解放先進国から入って来る様々な情報でした。セックスシーンとは関係のない、日常生活でゲイであることをオープンにして楽しんでいる人々。彼らは普通のビジネスマンであり、医者であり、弁護士である。ジムで鍛えた体に趣味のいいスーツをピシっと着こなす、男の中の男。ゲイだけども化粧なんてしないし女装もしないしオネエ言葉で話すこともない。ノンケの男と見た目も振る舞いも何ら変わらないゲイ。ノンケとの違いは、セックスの相手が男だっていうだけのこと。そう、「ゲイ」ってこんなに普通な人々なんだよ・・・ということをアドンは伝えていたのだと思います。

 その裏側でアドンが非難していた(隠そうとしていた)ゲイもいる。女装や化粧をするゲイ。オネエ言葉をつかいまるで女のような身のこなしをするゲイ。つまり「オカマ」ですね。当事の私は自分がゲイだとは思っていたけど、オカマではないと思っていました。なぜなら私は女装をしないから。なぜなら私は女言葉をしゃべらないから。なぜなら私はアナルセックスをしないから。なぜなら私はあんなに「異常」じゃないから。

 そして、オカマを嫌っていました。「あんな気持ち悪いオカマのせいで、僕たちみたいな『普通の』『真面目な』『まっとうな』ゲイまでもが世間から冷たい目で見られるんだ。」と、かなり本気で思っていました。
 
  (眠たいので後半は明日に続く・・・)

*1:私の出身校は正確には高校でなく高専です。