夏休みの思い出

 僕が子供の頃、昭和40年代といえばうちの近所にもまだまだ自然が残っていて、田んぼの用水路やその用水路に流れ込む疎水は水も綺麗で、色々な魚が住んでいました。銀色や金色のフナ、ナイフのように煌きながら泳ぐハヤ、赤い婚姻色が水の中にも目立つウグイ、群れ泳ぐメダカ、どこかの養殖場から逃げてきたとおぼしき色とりどりの鯉、愛嬌のある斑点のどじょう、暗褐色のなまず、青みがかった灰色のうなぎ、たまに見かけるアユ、水底の砂の中には緑から黄色までのさまざまな色あいのシジミ貝に真っ黒なカラス貝。用水の石垣の割れ目には大きなモズクガニも潜んでいます。イシガメが時々水面から上がって日向ぼっこをしています。そして時には緑がかったスッポンも。流れの遅い用水路はまた水生昆虫の宝庫で、タイコウチミズカマキリ、アメンボ、ミズスマシ、コオイムシゲンゴロウ、そしてもちろん色んな種類のトンボのヤゴ。一番多いトンボは青灰色のシオカラトンボとその雌で全身が黄色がかった褐色のムギワラトンボ。腰の部分が白さがまぶしいコシアキトンボ。シオカラトンボより一回り大きくて濃い紺色のオオシオカラトンボや、そのメスで腰の部分がレモンのような明るい色になっているデンキヤンマ。緑の稲穂の波の上をスイスイ飛んで行くギンヤンマはメタリックグリーンの胴体の色がとても綺麗でカワセミみたいです。時折山のほうから降りてくるオニヤンマは日本最大のトンボであるだけでなく、黄色と黒に鮮やかに塗り分けられた胴体と、エメラルドグリーンの大きな複眼が昆虫少年の憧れの的です。
 林や森には色とりどりの蝶々が飛び交っていました。みかんや山椒の木に卵を産みに来る黄色地に黒い筋の入ったアゲハチョウは夏になると羽の色をさらに鮮やかに変えて現れます。家の裏庭の百合の花には毎年真っ黒な翅に白や赤のスポットが入ったカラスアゲハが蜜を吸いにやって来たものでした。それに、林の高い梢を休み無く飛び回っているターコイズブルーのアオスジアゲハ。キャベツ畑にはモンシロチョウや、それより一回り大きいスジグロモンシロチョウ。カタバミに産卵にくる碧いシジミチョウ。林の木陰で文字通り瑠璃色の翅を開いたり閉じたりして休憩しているルリタテハ。それに、山道の木陰を走るように飛ぶハンミョウの翅の七宝焼きのような色彩。玉虫の翅の七変化。重い体をぶら下げるように飛んでくるゴマフカミキリの翅は紺地に白い斑点。
 夜になれば田んぼの脇で控えめに光を放つヘイケボタル。用水路の流れには明明と灯を点すゲンジボタル。明け方のぶなの木の林では樹液を吸いに集まるカブトムシやクワガタムシ、そしてメタリックグリーンのカナブン。
 夏休みの山や川は、まさに色彩の宝庫でした。そんな色彩のコレクションを一つでも多く集めるのがその頃の私の遊びなのでした。短パンにランニングシャツ、麦藁帽子。真っ黒に日焼けしたガリガリの手にはバケツと魚とり網(これが時には虫かごと虫取り網に変わります)、同じく真っ黒でヒョロヒョロのサンダルばきの足。高度成長期の田舎からは若い人がどんどんいなくなっていって、私達は最後に残ったガキ大将世代の子供たちでした。この田舎にも次第に「野球」という近代化の波は押し寄せてきつつありましたが、それは学校のグラウンドや公園が近くにある子供達の話で、私のように野球をするための広場が近くにない子供達の遊び場は、いまだに昔ながらの山や川だったのです。それに、近所には虫取りや魚とりや色んな遊びを教えてくれるお兄ちゃんがいて、私達年下の男の子達はいつもそのお兄ちゃんの後を追いかけて山や川や田んぼや畑に出ては(田んぼや畑に入るとよく大人の人に怒られましたけど)色々な生き物を捕まえるのに夢中になっていました。いま思えばこのお兄ちゃんはガキ大将の最後の生き残りだったのだと思います。私がまだ小学生の低学年だったとき、そのお兄ちゃんが小学校を卒業すると同時にお父さんの仕事の都合で他の町に引っ越してしまうと、お兄ちゃんを頂点とする近所の子供集団は解体して、それぞれが所属する小学校のクラスや学年単位の友達へと再編成され、歳の違う子供同士で遊ぶということはだんだん無くなってしまいました。それと同時に遊びの中で「野球」が大きな地位を占めるようになり、私はそのシステムに馴染めなかったので、次第に一人で川や山に行って遊ぶことが多くなりました。

 そんな夏休みのある日のこと。昼ごはんを食べたあと、いつもどおり私は一人で用水路沿いを歩いて虫取りをしていました。用水路のわきにはトンボがよくいるのです。でもそのほとんどはありふれたシオカラトンボかムギワラトンボなので、捕まえても面白くありません。私の目当てはもっと綺麗な色のトンボ、あるいはギンヤンマなどの大きなトンボでした。
 どこかにそんなトンボがいないかなと思って歩いていると、ふいに後ろから私を呼び止める声がしました。「おい、ボク、何(なン)が取れぇかや?」
 振り向くとそこには大人の男の人が立っていました。少なくとも私には大人だと思えました。白い開襟シャツに紺のズボンをはいて、私と同じように麦藁帽子を目深に被っています。強い夏の日差しの下でひさしが濃い影になっているので顔は良く見えず、ただその影の中の白い歯だけがはっきり見えたのを覚えています。歯が見えたということはその人は笑っていたのでしょうか? でも私は緊張していて、相手が何のために話しかけてきたのか分からずに戸惑っていました。ちょっと内弁慶な子供だった私は、知らない大人の人、特に男の人が怖かったのです。だから話しかけられたということだけで軽くパニックを起こし、何を答えたらいいのか分からなくてただ黙って男の人の足元に視線を落としました。その人は裸足に下駄を履いていました。下駄の鼻緒がやけに黒く太く見え、その鼻緒を挟みこんでいる足の指も、その指の先の爪もとんでもなく大きく見えました。
 私が黙ったままでいると、その人は私の虫かごの中を覗き込み、さらに話しかけてきました。「おー、ショウジョウトンボだが。いいなあ。どこにおった? お兄ちゃんもショウジョウトンボを探しちょーとこだけん。教えてごさんかね?(教えてくれないかい?)」
 「さっき、そこの畑のとこにおったよ。」やっと私は口をきくことができました。でもお兄さん(とその人は言うけど私には「おじさん」にしか思えなかったです)と目を合わすことができません。私は虫かごの中のショウジョウトンボを---赤い蝋燭のように艶やかな緋色のトンボを---見ていました。そして、この辺にほかにもショウジョウトンボがいるとも思えなかったので(ショウジョウトンボは私にとってはかなり珍しい部類のトンボでした)、心の中で「あんたに見つけられっこないよ」と言っていました。何より大の大人が子供みたいに虫取りをしているということが、その人が尊敬にたる大人ではないと表しているような気がしたのです。
 「はぁ、ほんならちょっと行って見ぃかの。」と言ってその人は富屋の家の裏の畑の方へ歩いて行きました。そのときはじめて、私はその人が虫取り網を持っていることに気づきました。しかもそれは私の持っているような寒冷紗の網でなく、ナイロンでできていて、しかも縁金も太くて丈夫そうだし、竿も私の網のような竹ではなくてまっすぐな一本の棒でできているのでした。田舎の雑貨屋さんでは売ってない、高そうな虫取り網。そんな虫取り網は、TVとかで昆虫学者が持っているところしか見たことがありません。私はちょっと悔しくなりました。それで、その人が絶対ににショウジョウトンボを見つけられないように、仮に見つけたとしても捕まえることができないようにと祈りました。それに、いま畑には富屋のおじじがいるのです。富屋のおじじは私が虫取りのために畑に入るのを見つけるといつも必ず怒って出て行けと言います。さっきはうまく見つからないうちに、おじじが背の高いトウモロコシ畑の中で何か作業をしているうちにショウジョウトンボを捕まえることができたけど、でもお兄さんは背も高いし、畑に入っていったら絶対におじじに見つかるに決ってる。見つかって追い出されるに決ってる。そう思って私はトンボを追いかけるふりをしながらそっとお兄さんがどうなるかを伺っていました。
 やがてお兄さんは畑に入って行って、あぜ道の脇に咲いているオニユリの脇を通り抜け、おじじのいるトウモロコシ畑の方に向かって行きました。やった、これできっとおじじに追い出されるぞ・・・・そう思ってみていると、案の定トウモロコシ列の間からおじじが出てきました。でも、おじじはお兄さんの近くまで歩いて来ると、ボロボロになった麦藁帽子とほっかむりを取ってお兄さんにおじきをし、ニコニコしながら何か話を始めました。どうやらおじじとお兄さんは知り合いのようでした。それにおじじが何度もお兄さんにおじきをしている様子からすると、お兄さんはおじじより偉い人みたいなのです。私は子供だから大人の人のことはよく分からないけど、おじじがお兄さんのことを畑から追い出さないのは確かだということは分かりました。二人はしばらくの間立ち話をしていましたが、やがておじじは帽子を被りなおしてトウモロコシの陰に入って行き、そしてお兄さんは虫取り網を片手にゆっくりと畑の中を歩き回りはじめました。ちぇっ。
 私は諦めて自分の虫取りに専念することにしました。

 でも今日は最初の幸運なショウジョウトンボ以外はなかなかいい虫を捕まえることができません。そこでトンボはやめてアオスジタテハを取ってやろうと思って、用水路近くの小曽根の家のユズリハの木立の下に行ってみました。ここはいつもアオスジタテハが飛んでいるところです。今日もいつもの通りアオスジタテハはいましたが、やはりいつもの通り私の虫取り網の届くところよりはるかに高い梢あたりを休み無く舞っているだけで、夏の日の出直後の薄い青空のような綺麗な色の翅は私をあざ笑うように決して降りてきてはくれないのでした。
 太陽はまだまだ空の高いところにあって、木陰にもジリジリと焼けるような日差しが降り注ぎます。私はのどが渇いてきました。そろそろ一度家に帰って冷たい麦茶を飲もうかな。そう思っていると、さっきのお兄さんが富屋の畑から出て来るのが見えました。ショウジョウトンボは取れたのかな。取れなかったのかな。それは気になりましたが、もうこの人と話をするのは嫌だったので(この人が嫌いというのではないのですが、何しろ知らない大人の男の人なので)、私は家に帰ることにしました。でも、家に帰るには富屋の畑の前を通らなくてはいけません。困ったな。またあの人と話をしないといけないのかな。それともあの人が行ってしまうまで、ここで虫取りをしているふりをして待っていようか。
 でもそうこうしているうちに、お兄さんはまっすぐ私のほうに向かって歩いて来ました。私が立っているところから少し離れて、小曽根の家の軒先に停めてある見慣れない自転車がありました。もしかすると、この自転車はお兄さんのものなのかも知れません。だとしたら私は家に帰ろうがここにいようがお兄さんと出くわしてしまいます。ああ、どうしよう。やだな。
 やがてお兄さんは私を見つけて声をかけてきました。
 「なー、ボク、やっぱりおらんだったわ。だいぶ探したけどなあ、ダメだわ。」そう言いながらお兄さんは私の目の前まで来て、羨ましそうに私の虫かごを見やりました。このときようやく兄さんの顔がよく見えました。私と同じように真っ黒に日焼けした顔。小さい目と、大きな口と、真っ白な歯。お兄さんが笑うと、目じりには細かい皺がたくさん寄りました。やっぱりお兄さんじゃなくておじさんだな、と私は思いました。
 「僕が捕ったのが最後だったかも知れんよ。」私はちょっと意地悪のつもりでそう言いました。どんなに良い虫取り網を持っていても、私より上手に虫を捕ることなんてできないよ。そんなつもりもあったのです。すると、お兄さんは思いがけないことを言い始めました。
 「なぁ、ボク、そのショウジョウトンボを俺にごさんかね?(くれないか?)」
 「やだ。これは珍しいけん。あげられん。」
 当たり前です。私がひと夏かけたって一匹捕まえられるか捕まえられないかのショウジョウトンボを、こんな知りもしない人にあげるなんてできるわけがないでしょう。
 「なぁ、頼むけん。代わりに、俺が珍しいトンボのおるとこを教えちゃーけん。ボク、チョウトンボは捕ったことないだらが。(捕ったことがないだろう)」
 ・・・チョウトンボ?!
 その言葉を聞いて私の胸は高鳴りました。話に聞いたことはあるけど、図鑑で見たことはあるけど、一度もほんとに見たことがないチョウトンボ。この辺に生息している場所があることすら聞いたことがないのに、ほんとにいるの? いるのなら、見てみたい。捕ってみたい! 私の内弁慶もこのお兄さんへの警戒感も妬みも、この魔法のトンボの名前でどこかへ飛んで行ってしまいました。
 「うん、いいよ。チョウトンボがおるとこ教えてごいたら、これあげる。」
 「じゃあこれからお兄ちゃんのところに来るか。十日市まで。チョウトンボはお兄ちゃんとこの裏の山の池におるけん。自転車で連れて行っちゃーけんな。」
 知らない人にものをもらってはいけません。知らない人についていってはいけません。そんなことを夏休み前の学校で教わったような気もしましたが、残念ながら学校ではチョウトンボの秘密についてなんて教えてくれなかったのです。それが手に入るくらいなら、知らない人についていくくらい何でもない。それに十日市なんて隣町だもの。私だって一回行ったことがある。歩いてだって行けるからそんなに遠いところというわけじゃない。私はそう思いました。と言うか、そんな回りくどいことを考えてすらいませんでした。チョウトンボが見たい、チョウトンボを捕まえたい。すべてはその一心だったのです。
 お兄さんは自転車に乗り、私は後ろの荷台にまたがって、片手に虫取り網を握り、もう一方の手をお兄さんの腰に回しました。お兄さんのシャツの背中からはすっりシミになった汗の匂いがしましたが、私にはそれすらもチョウトンボが放つ(に違いない)甘い香りのように思えました。自転車は用水路脇の道を通り、やがて疎水沿いのもっと広い道に出ると、夏の午後のかげろうの中を小刻みに揺れながら走っていきました。(つづく)