不眠症の夜明け

 ここのところマトモな食事をしていなかった胃袋には昨晩のフライドチキンがよっぽどこたえたらしく、膨満感というんでしょうか、夜中を過ぎてもお腹が苦しくて苦しくて。胃薬は飲んだんですがね。睡眠薬を飲むのはさらに胃袋に負担をかけることになりそうな気がしたので飲まないでベッドに入ったら、やっぱり眠れませんでした。現在朝の8時半でございます。自分が心を病んでいること(あるいは睡眠薬依存症であること?)を確認しました。でもさすがに胃の調子は元に戻りました。


 眠れないとロクなことを考えないのが常なので、昨晩もうっかり鬱が悪化しそうなネガティブ思考のスパイラルに陥るかと思いきや、なんとか朝まで割りと平気な精神状態でいられました。その理由は、「もし年末ジャンボ宝くじで一等(あるいは二等でも可)が当たったら、その後はどんな風に生活していこうかなぁ」という空想にふけっていたからです。我ながらまったく子供だましな手段だと呆れるのですけども、朝までそれで時間が潰れたんだからよしとしましょう。それに、こんな下らない空想でも、突き詰めていくにつれ「私は何を大切にして生きていきたいのか」がおぼろげに見えてきました。
 現実を見てしまうと、宝くじに当たらない確率の方が圧倒的に高いわけで、そうなると「どうやって生活の糧を得ていくか」ということと、この「何を大切にしたいか」をどうやって両立させるかが非常に難しい問題として現れてきてしまいます。でも、今はあえてその難問は脇に置いておいて、楽しい空想の翼でもって谷底に落っこちないように羽ばたいていくことも生きるための知恵かと。


 その極楽とんぼな空想の合間に、他のことも色々考えました。
 そう言えば昨日は「世界エイズデー」だったんだなーとか。テレビではその話題を見かけなかったけど、「THE BIG ISSUE」の最新号にはちゃんとHIV/AIDS関連の記事は載ってました。私にもHIVポジティブの友人は何人かいますが、最近は会ってなかったなーと思い出して彼らの近況が気になったり、でもこんなタイミングで連絡をとってみるのもなんだかなーと考え込んでしまったり。
 「THE BIG ISSUE」の同じ号には自殺についての記事もあったんですよね。世界では年間100万人以上の人が自殺で死んでいて、それは戦争や犯罪による死者の数を上回っているんだって。そんで、日本はいわゆる「先進国」の中ではダントツで自殺率が高い国なんだそうですね。かく言う私もその自殺者予備軍に入っているわけだなーと他人事のように(昨晩は)思ったり、死と向き合う病という意味では鬱とHIV感染/AIDSは同じだよなーと思ったり、いやいや、自殺とHIV/AIDSでは当事者の「死」に対するベクトルが全然違うだろうよ!と思い直したり、そもそもHIVに感染したからって死ぬわけじゃないんだしと自分を再教育してみたり、でも世間の偏見とか治療費・薬の副作用の負担はHIV/AIDSの方がよっぽど大変だよなーと思ったり、でも個人個人の感じる「大変さ」「シンドさ」というものをマクロで捉えて語っても仕方ないよなーと思ったり、しました。
 それから、私が死にたいと思ったとき、かろうじてそれを引き止めることのできるのは「自殺することで私の友人達に精神的ダメージを負わせることへのためらい」だったりするんだよなあと改めて考えました。でも、それと同時に、もしも私が(あるいは、他の誰かが)本気で自殺を考えたとしたら、それはもう誰にも止めようがないんだろうなという諦めのようなものが私の心の底にあることも分かりました。いったん「世界」の危うさに気づいてしまったら、そこから目をそらして歩いていくことはとても困難です。私にとって「生きる」というのは、深い深い谷にかかった丸木橋の上を、落ちないようにソロソロと歩いていくことに似ています。ちょっとでも油断したら谷底に落ちてしまう。それを考えるとたった一歩を踏み出すのも恐ろしいのに、どうしてみんな、平気な顔して歩いていけるんだろう。自殺を考えない人たちは、一体、どこに未来を見出しているんだろう。さっぱり分かりません。
 …てなことを考え始めたら、とりあえず宝くじの夢を見てその場をやり過ごすわけです。


 思考の悪循環のパターンにはもう一つあって、「あのときああすれば良かった」「あんなことするんじゃなかった」と自分の過去の人生の分岐点を振り返って後悔しはじめるとキリがありません。でも昨晩はなぜだがそうは考えず、結局、私は選ぶべくしてこの人生を選んできたんだと思うことができました。そりゃ、世間体からすれば全くの負け犬人生なわけだし、自分でも今後ずっとそれでよしと思うわけではないんですが、でも今の私がとりあえず生きているということで、これまでの人生における選択はどれもみな正しかった…というか、とりあえず最悪なものではなかったということは言えるわけですよね。
 それに、負け犬な人生だからこそ出会えた人たちが沢山いることも、忘れないようにしなくちゃ。