マルのプロフィール(2):成長期

 (第一話は http://d.hatena.ne.jp/shigeri/20091210
 マルが生後三ヶ月を過ぎた頃、獣医に行って予防接種のワクチンを受けさせました。
 その後で、僕が休みの日にちょっとずつ家の外で遊ばせるようになりました。


 最初は家の前庭(と言っても、物干しと自転車置き場に使っている、3坪ほどの「空き地」です)で日光浴。でもそこは子猫の好奇心で、庭の雑草やそこにいる虫(小さなバッタとか)で遊んだあとは、すぐに探検を始めるようになりました。
 まずは、建物とその周囲を囲っているブロック塀の隙間(幅20センチほど)の間にズンズンと突入。
 人間に入れる隙間ではないので、僕はその隙間の先の裏庭(大家さんの家の庭に続いています)に先回りしてお出迎え。で、再び前庭に連れて行く…ということを何回も繰り返しました。


 ブロック塀は高さが160センチはあるので、子猫のマルにはまだジャンプして上ることはできません。
 でも、裏庭から大家さんの庭には、境界線としてブロックが一段並べてあるだけです。しかも大家さんの庭はとても広くて、家庭菜園/果樹園になっているので、マルには格好の遊び場と思えたようです。そのうちに、その庭を探検したり、果樹に登って遊ぶようになりました。
 しばらくは僕もその様子を見ていたのですが、安全な遊び場なので(とりあえず車は来ませんしね)、僕が留守のときにも遊びに出られるようにトイレの窓を少し開けておいてやって、そこから自由に出入りできるようにしてやりました。
 で、万が一迷子になってはいけないので、鈴と名札付きの首輪を買って来て、名札の表に「マル」という名前を、裏面に僕の苗字と家の電話番号を書いておいて着けてあげました。


 それまで家の中に閉じ込めていたときは、僕が仕事に出かける際に、窓のレースのカーテンによじ登りながら「行かないでー! 行かないでー!」と鳴きわめいていたマルにゃんも、それ以来は僕の出勤と一緒に家の外に出て僕を見送って、それから外でひとり遊ぶ(多分)ようになったようです。
 最初のうちは、僕が仕事を終えて帰宅するときに「大丈夫かな? ちゃんと家に帰れているかな?」と心配していたものですが、毎晩家の中から「おかえりニャ〜」と出迎えてくれるので、そのうちそういう心配もしなくなりました。


 そうこうしているうちに、あっという間に数ヶ月が過ぎました。
 子猫の成長って早いんですよねー。
 身体はどんどん大きくなるし、運動能力もメキメキと発達。特に、ジャンプ力は「さすが猫!」。直接高いブロック塀の上には上がれなくても、裏の大家さんの庭の果樹を伝って塀の上に上るようになりました。その塀は、僕の入居していた借家と大家さんの家(農家なので、家も庭もとても広い)をグルっと囲んでいるんです。ですから、その塀の上づたいに歩いて行けば、かなり遠くまで「探検」できるわけです。


 ある日、隣の家(歯医者さんでした)から回覧板が回って来た際に、そこの奥様(60代くらい)が「お宅のマルちゃん、可愛いわねえ。いつもうちの窓の前でお座りして待ってるのよ。煮干をあげたら喜んで食べてるの。」と。
 あららら、いつの間にかよそのお宅でおやつを貰うまでになったのねw
 その頃から、時々ですが「お宅の猫ちゃんが、家に来てるんですけど」という電話がかかって来るようになりました。そんな時は「あー、すみません。自分で帰って来れますから、放っておいて下さい」と答えてました。歯医者さんだけでなく、色んなお宅に遊びに行ってるみたい。ちゃっかりしてるなあ。
 でもお蔭さまで、回覧板やら町内会の集金くらいしか接点が無かったご近所さんとも、「マルねた」でお話ができるようになりました^^


 生後半年くらいになると、もう果樹伝いでなくてもブロック塀の上までジャンプ!して上れるようになりました。野生の運動能力って凄いなー。そこから家の屋根に上って日向ぼっこをしている姿も何度か見かけました。

 さて、パート1でも書いたように、最初のマルの食事は「猫缶」でした。
 でも猫缶は割高だし、空き缶ゴミは大量に出るし、栄養も偏るし、特に夏場に食べ残しを放っておくといたんでしまいそうで心配なので、外出を始める頃にドライフードに変えることにしました。
 最初はなかなか食べようとしなかったマルですが、僕はやるからには徹底してやる方なので(躾けは厳しいんです)、どんなにねだられてもドライフードしかあげないようにしたら、そのうち(しぶしぶでしょうが)食べるようになりました。
 お蔭で夏でも安心して外出することができるようになりました。


 その頃から、困った事が起き始めました。
 外で遊んで来るのは良いのですが、マルは(他の猫ちゃんもそうらしいですが)よく「お持ち帰り」をするんです。裏庭〜大家さんの庭には様々な小動物がいます。そいつらを『生きたまま』家に持って帰って、部屋の中で捕まえたり放したりして遊ぶんですよー。
 犠牲になった生き物は、まず一番多かったのは「ヤモリ」や「トカゲ」。大掃除で普段動かさない家具を動かして裏を掃除しようとしたら、そこにカラカラに乾いたヤモリが…なんてことは日常茶飯事。他にも「バッタ」「カマキリ」「セミ」「スズメ」、そして極め付きは「ネズミ」(キャー!)。
 さすがにスズメとネズミのときは、部屋の中で惨殺されては血まみれになってたまらないので、いやいやながらもまだ元気なうちに取り上げて、外に逃がしてやりました。


 でもねー、一回イヤーなことがありまして。
 真夜中、僕が寝ていると、「ガリッ! ガリリッ!」と音がして目が覚めました。なんじゃらほい? と思って灯かりを点けてみると、なんと…マルがネズミの頭蓋骨を齧っている音だったんです!!!(*o*)
 畳の上には点々と血が。そして、既にネズミの身体はほとんど残っていません。
 あー、食べちゃったんだ…イヤァァァァァァッ!(>_<)
 もーあんた、そんなもんで栄養補給しなくてもいいの!
 (でも『穀物を荒らすネズミを退治する』という、猫を飼う原初の目的としては優秀な猫ですわね。)


 それとほぼ時を同じくして、マルは家に置いてある猫トイレで用を足さなくなりました。どうやら、外でする方が気持ちいいらしいんですね。近所のお家に迷惑をかけてないかしら…特に大家さんの庭で用を足している可能性が大なので、大丈夫かなと心配になりましたけど、大家さんに家賃を払いに行くときに(銀行振り込みではなく、現金払いだったんです)、「うちの猫がご迷惑をかけてませんか?」と訊いてみたら、「別になんもしとりゃーせんよ」というお返事だったので一安心。
 ま、大家さんの庭はとにかく広いし、よその家の飼い猫や野良猫も利用しているようなので、一匹くらい来る猫が増えてもどうってことないんでしょうね。
 でも、どんなに寒くても(まれですが、岡山でも雪が積もることがあります)、雨が降ってても、わざわざ外に行って用を足すマル。どんだけ家の猫砂が嫌いやねん。


 ところで、マルを家に迎える一ヶ月ほど前に、近所に住んでいる友達(徒歩5分ほど)の家でも猫を飼い始めていたので、僕は時々マルをバスケットに入れてそこの猫ちゃんと遊ばせに行くようになりました。
 子猫同士なので、初対面のときからもう夢中で遊んでましたねー^^
 二人(二匹)して外にも遊びに出るので、時々は僕がもう帰宅しなくちゃいけない時間になっても帰って来ないこともあって、そんな時は様子を見に外に探しに行ったりもしました。


 子猫たちを探して夜の細い路地を歩いていると「チリチリチリ♪」とマルの鈴の音が近づいてきて、やがて二匹の子猫が姿を現します。そのまま路地を向こうへと走っていく後姿に「マル!」と声をかけると、二匹は「なぁに?」という風に振り返るんですよ。
 その「なぁに?」の顔が、僕の脳裏に鮮明に焼きついています。
 マルにゃんの子ども時代の幸せな思い出。

 今でも時々、あの頃にもう一度戻ってみたいなと思うんですよね。


 ところがその友達の猫「コトちゃん」(♂)が生後半年を過ぎた頃、やはり♂だからでしょうか、放浪癖が出始めまして。何日も家に帰らないということが続くようになりました。
 何度かその友達に頼まれて「コトちゃん」を探して歩いたことがあります。当時僕が住んでいたのは、岡山の中心部に近いながらも昔ながらの家並みが残っているところで、細い(車も走れない)路地がいくつもある町でした。あるときまたコトちゃんが失踪したので、そんな路地にあちこち入っていって「コト!」と呼んでいると、自転車屋さんの前の古タイヤやオンボロ自転車が積み上げてある中から「にゃ〜」と返事がありました。ああ、こんなところにいた! でもそこは友達の家からは直線距離で100メートルもないところなのに…(^_^;
 早速コトちゃんを抱き上げて、家に連れ帰ってやりました。


 でも、最終的にはコトちゃんは本当に行方不明になってしまいました。
 マルの遊び相手がいなくなったというのもあって、淋しかったです。


 何より困ったのは、マルが家に来て以来、遊び相手の猫はコトちゃんしかいなかったことです。庭付きの家が多く立ち並ぶ、細い路地の多い町なので、それなりによその家の猫や野良猫はいたんですが、マルは他の猫とはあまりうまく付き合えないみたいなんです。
 特にうちの近所のボス猫(多分野良だと思われる)はゴッツイ顔と身体の雄のトラ猫で、こいつがマルをいじめるんですよ。マルの方も、まだ成人しきってないし、身体も小さいオンナノコのくせして、闘争心だけは一人前にあるんです。トラ猫に出くわしたらすぐに逃げて帰ればよいものを、「売られた喧嘩は買うわよっ!」ってな感じで果敢に向かって行くんです。
 もちろん、そいつ相手に勝てるわけがありません。
 結局は「ウギャーーーーー!」とひとしきり対戦した挙句、尻尾の毛をポワポワに逆立てたまま家に帰って来ることになります。
 なんどか日中にその対戦を目撃しましたが、やはり一方的にヤられてばかり。マルは防戦どころか、最後にはビビって放尿&脱糞してました(^_^;


 それがトラウマになっているせいだと思いますけど、今でもマルは他の猫が怖いです。
 予防注射や去年の病気などで獣医に連れて行っても、他の動物の気配がするだけでバスケットの中で固まって、低く「ナーーーーー!」と戦闘(&ビビリ)モードの声で鳴くばかり。大阪に来てからも、友達のマンション(猫が二匹いた)に連れて行ってみたら、やはり同じでした(苦笑)


 その後、例のボス猫はいつの間にかいなくなって(死んだか、よそへ遠征に出かけて帰って来なくなったんでしょう)、それからはマルが他の猫と喧嘩することはほとんど無くなりましたが、それでも外で他の猫たちの喧嘩の声が聞えると「アタシの出番だわっ!」…と思っているのかどうか、ダダダッと外に出てその様子を見に行く習性がついてしまいました。
 どうせ喧嘩は弱いんだから、大人しく引っ込んでりゃいいのに。
 弱っちくてビビリのくせして、変に闘争心だけはあるお転婆猫。トホホ。
 
 (「チュー☆」)


 さて、今回はこれまで。
 次回は『大人の仲間入り〜妊娠・出産編』を書くつもりです。
 いつになるかな?(^_^;

マルと布団

あったかいニャン♪

 
 (『半身浴』)


 マルは寒冷地仕様の猫らしく(多分洋猫の血が入っているせい?)、実際田舎(岡山・出雲)に住んでたときは、冬で雪が積もっても平気で外出(縄張りパトロール)してました。
 一緒に布団に入るようになったのはほんの二年くらい前から。
 さすがに歳を取ったからでしょうかね。


 でも、僕が寝るときに一緒に布団に入っては来るものの、10分もすぎるとノソ〜ッと布団から出て行ってしまいます。多分暑いんだと思います。
 今日はたまたま、珍しく下半身だけ布団に入って休憩中のところが撮れました^^

『This Is It』@梅田ガーデンシネマ

 
 (2009年 アメリカ)


 まさに「いまさら」な感じで見に行って来ました。
 僕は特にマイケルの熱烈なファンというわけではありませんが、一応彼の活躍をリアルタイムで見てきた世代ですし(特に『スリラー』は発売当時僕がアルバム=LPレコードを買って、クラス中に廻して皆がカセットテープにダビングしました)、既にこの映画を見た知り合いがあまりにも絶賛するものですから。
 幸いまだ大阪では上映していて、梅田ガーデンシネマではレイトショウ(21:10〜)でやっていたので、先の『海角七号』を観るついでにはしごしちゃいました。


 で。
 昨日の日記に書きましたが、やはり凄かったです!
 圧倒されました。
 「マイケル・ジャクソン」という人が、全精力を注いで『最高の』『まだ誰も経験したことのない』エンターテイメントを作り出そうとする、その凄まじいまでの努力。まさに「生死を賭けている」のではないかと思えるほどです。
 そして、スタッフやファン(あるいは全ての人々)や地球に対する『愛』と『尊敬』。
 こんな人が、僕と同じ『人間』であることが信じられません。


 観ている間中ずっと感じていたのは(もちろん、それは彼が既に亡くなっていることを知っている上でのことですが)、彼の身体の痛々しいまでの細さですね。バックダンサーたちは皆、凄いマッチョなんですよ。女性も含めて。
 なのにマイケルの、特に脚ときたら…今にも折れそうなほど細いんです。太ももとふくらはぎが同じくらいじゃないの?と見えるくらい。
 それなのに、例によってまるで精密機械のように繰り出される素晴らしいダンス。しかも歌いながら!
 あれで50歳ですよ!?
 マドンナみたいに筋肉ムキムキなら「あー、ちゃんとメンテしてはんねやなー」とも思いますが、マイケルの身体はなんだかもう…既に肉体は消え去って、魂だけがそこに姿を現しているかのよう。


 この人は、もうこの世にいないんだなぁ。


 彼は史上最高のエンターテイナーとして、世界中で『消費』されました。
 そして、それは彼の望みでもあったと思います。
 様々なスキャンダルにまみれて、私生活なんてあって無いような暮らしを幼い時からずっと続けて、それでも多くの人々に『愛』を与え続けた人。
 でもマイケル、あなた自身はそれに値する『愛』を享受できたのですか?
 熱烈なファンからの声援は、きっとあなたの耳に届いていたとは思いますが、でもあなたは心の中に抱えきれない闇を持ち続けていたのではないのですか?
 『愛』を唱え続け、でも心無い世間の好奇の目にオモチャにされた。僕もその一端を担っていたのかも知れませんね。
 そんな人々の『罪』を背負って死んでいったあなたは、まるでイエス・キリストのよう。
 …なんて考えるのは感傷的過ぎますかね。


 彼が幸せだったのかどうか、僕には分かりません。
 でも、ステージで歌い踊る彼の姿はとてもハッピー。
 それさえあれば、彼は満足だったのかな…。


 せめて、どうぞ安らかにお眠り下さい。
 Thank you for your L-O-V-E. I love you too, Michael.


■『This Is It』予告編

■『This Is It

THIS IS IT

Michael Jackson



This is it, here I stand
I’m the light of the world, I feel grand
Got this love I can feel
And I know yes for sure it is real

これは本物だ 今度はここで
誰よりも光り輝き 気分は最高
今感じているこの愛
はっきりと分かるさ 本物だって

And it feels as though I’ve seen your face a thousand times
And you said you really know me too yourself
And I know that you have got addicted with your eyes
But you say you gonna live it for yourself

何千回も君の顔を見つめてきたような気がする
君も僕のことを知っていると言った
身を任せる風を選んでいたというけれど
結局風任せにすることにしたんだね

I never heard a single word about you
Falling in love wasn’t my plan
I never thought that I would be your lover
C’mon baby, just understand

君のうわさなど聞いたこともなかったのに
恋に落ちるつもりなんてさらさらなかった
君の恋人になるとは思いもしなかった
お願いだ 分かってくれ

This is it, I can say,
I’m the light of the world, run away
We can feel, this is real
Every time I’m in love that I feel

まぎれもない愛 僕には分かる
僕は君の光だ 僕しかいない
僕たちならできる これは本物だ
恋に落ちるたび 感じるんだよ

And I feel as though I’ve known you since 1,000 years
And you tell me that you’ve seen my face before.
And you said to me you don’t want me hanging round
Many times, wanna do it here before

君のことを千年も前から知っているような気がする
君も僕の顔を見たことがあると言う
もう会いたくないって君は言うけれど
何度言われても僕は一緒にいたいんだ

I never heard a single word about you
Falling in love wasn’t my plan
I never thought that I would be your lover
C’mon baby, just understand

君のうわさなど聞いたこともなかったのに
恋に落ちるつもりなんてさらさらなかった
君の恋人になるとは思いもしなかった
お願いだ 分かってくれ

This is it, I can feel
I’m the light of the world, this is real
Feel my song, we can say
And I tell you I feel that way

これは本物だ 胸の奥で感じる
僕は誰よりも光輝いている これは真実の愛
僕の歌を一緒に歌おう
お願いだから耳を傾けてくれ

And I feel as though I’ve known you for a thousand years
You said you want some of this yourself
And you said won’t you go with me, on a while
And I know that it’s really cool myself

君のことを千年も前から知っているような気がする
人見知りするって君は言うけれど
少しの間だけ僕と付き合うと言ってくれた
それですばらしい船出ができるのを僕は知っている

I never heard a single word about you
Falling in love wasn’t my plan
I never thought that I would be your lover
C’mon baby, just understand

君のうわさなど聞いたこともなかったのに
恋に落ちるつもりなんてさらさらなかった
君の恋人になるとは思いもしなかった
お願いだ 分かってくれ

I never heard a single word about you
Falling in love wasn’t my plan
I never thought that I would be your lover
C’mon baby, just understand

君のうわさなど聞いたこともなかったのに
恋に落ちるつもりなんてさらさらなかった
君の恋人になるとは思いもしなかった
お願いだ 分かってくれ

『海角七号 〜君想う、国境の南〜』@梅田ガーデンシネマ(ネタバレ注意!)

范逸臣

 
 (2008年 台湾)
 オフィシャルサイト http://www.kaikaku7.jp/


 「台湾映画史上空前のヒット作」という触れ込みで、満を持して観にいったわけですが。
 ちょっと期待し過ぎました。
 率直な感想は…『ベタやなぁ〜(^_^;』

 これが台湾映画史上興行成績一位の映画って、どうよ?
 でも確かに「お子様からお年寄りまで」の万人向けな感じはしますね。日本で『寅さん』や『釣りバカ』がヒットするのと同じ理由かも。

 第二次世界大戦での敗戦で台湾を離れ日本に帰国することになった日本人教師が、台湾に残してきた恋人「小島友子(日本名)」に宛てて綴った七通の恋文。それが60年の時を経てようやく「友子」へと送られてきます。しかしその住所「海角七号」は当然ながら大昔のもので、今は誰も知る人がいません。

 台北でミュージシャンとして成功する夢破れ、台湾最南端の町、故郷の恒春に帰ってきた阿嘉(アガ;ファン・イーチェン【范逸臣】)は、町議会議長の父の口利きで郵便配達の仕事を始めます。しかし阿嘉は半ば自暴自棄でまともに仕事をせず、配達し切れなかった手紙を自宅のゴミ箱に捨てちゃったりする始末。しかしその手紙の中に、例の「友子」宛ての手紙を発見。阿嘉はそれを配達するでもなく、なんとなく部屋の片隅に置いたままにしておくのですが…。

 一方、モデルとして日本から台湾に渡って仕事をしている「友子」(田中千絵)は、台湾でも人気の日本人ミュージシャン・中孝介(本人)のライブの開催にあたって、通訳と、その前座のバンドのオーディションを任されます。
 しかしバンドのメンバーは集まったものの、皆一癖も二癖もあるメンバーばかり。友子は、特に作詞・作曲を任されている阿嘉と、事あるごとに対立します。
 果たしてバンドはちゃんと成功するのか?
 そして友子と阿嘉の関係は?

 戦争によって引き裂かれた恋人たちの切ない物語と、その配達されない恋文を巡って、現代の物語は動き始めます。

 …と書くと、なんともロマンティックなラブストーリーのように思えますが、どうやらこの映画は『音楽映画』として観る方が楽しめそうです。合間合間に(僕には)不必要とも思えるほど「笑い」が入り、これはコメディ映画か?と思うほど。ストーリー展開もなんだかテキトーでご都合主義w。

 当然ながら「俳優」としての中孝介の演技はまるでダメだし、何よりナレーション(「友子」への恋文を朗読する)がいけません。下手くそ。ちゃんと日本人のナレーターを使っているんですけどね。
 それから、CGがショボい…w ハリウッド映画を見慣れてると、ちょっと笑っちゃうくらいなのはご愛嬌?


 ただ、私的ゲイ目線で見ると「阿嘉」役のファン・イーチェン君はイケます^^
 (ああいう顔、好きなんですー☆)
 彼の本業はミュージシャンらしいので演技のプロではない筈ですが、表情がイイですね。あと、台湾の気候が暑いからというのがあるのでしょうが、やたらと彼の半裸シーンがあって、これはゲイの観客へのサービスかしらと思っちゃいましたw
 特に「イイ身体」をしているわけでなくて普通体型なんですけど。


 現代の「友子」を演じる田中千絵さんは、アジア圏での活躍を目指して以前から中国語(北京語)を勉強してらしたそうですが、この映画のために更に猛勉強したのだとか。しまいには監督から「日本人役なのに中国語が上手すぎる」とクレームがついたほどだそうです。
 この映画のヒットで台湾では大人気になり、既に次の仕事(台湾や中国で)のオファーが来ているとか。


 それから、この映画で台湾の歴史(ちょこっと)とか、台湾の民族構成;一つの島なのに、戦後入植してきた国民党(漢民族)以外に色々な原住民族がいるんですね。詳しくはこちら;などがうかがい知れるのも面白かったです。
 映画の中では、「マラサン」という客家(ハッカ)人が登場します。客家人は国民党が入ってくる以前から台湾にいる漢民族で、言葉も「客家語」というのがあるのだそうです。もちろん映画中では共通語である「台湾語」(北京語とは違う)を話していますけど。
 もう一人、パイワン(排湾)族(原住民族)の「ローマー」というキャラクターも登場します。こちらも「パイワン語」があるのだそうです。ローマーが妻とのツーショット写真を皆に見せるシーンがあるのですが、恐らく結婚式のときかなんかに撮ったんでしょうか、独特の素敵な民族衣装姿でした。


 あと、(現代の)友子と台湾人とのやり取りなどから、「台湾人から見た日本人イメージ」が見えるのも新鮮でした。特に面白かったのは、台湾人のプロモーター(女性)が電話で「日本人の難しさは判ってるでしょ!」みたいな台詞を言う場面。多分、日本人が時間やマナーに厳格だという意味だと思うのですが。


 そうそう、恒春の町の自然の美しさにも言及しておかないといけないでしょう。
 でも、阿嘉の父の台詞にもあるように、そんな素晴らしい自然がありながら、若者の多くは台北などの都会へ出てしまう。そんな、日本の「地方」と同じ事情がやはり台湾にもあるのですねー。


 この映画で印象的なシューベルトの「野ばら」は、冒頭でも80歳の郵便配達員の茂(「ボー」という発音だったような)さんが、バイクに乗りながらたどたどしい日本語で歌っています。戦前生まれの茂さんは、当然日本語教育を受けて育っているわけですね。茂さんは「月琴」の奏者で人間国宝でもあるのですが(演じているリン・ゾンレン【林宗仁】さんはホンモノの中国伝統楽器北管の台湾国宝級奏者です)、彼が月琴を奏でながら歌う日本語の「野ばら」が、日本と台湾の歴史を思い出させるという仕組みになっています。


 また、映画では台湾語の台詞がほとんどですが、(現代の)友子は北京語しか話せませんし、台湾語が理解できません。そのことによって友子のストレスが溜まっていくことも(もしかしたら)この映画の一つのキーになっているかも知れません。
 そして「小島友子」宛ての手紙は全て日本語。
 そんな多言語・多民族な映画でしたので、より台湾を知るための資料としての価値もこの映画にはあるのかなと思いました。


 最後のビーチでのライブのシーンは、さすがに圧巻。
 「阿嘉」役のファン・イーチェン君はもちろん、「マラサン」役のマー・ニエンシエン【馬年先】、「ローマー」役のミンション【民雄】、「カエル」役のイン・ウィミン【應蔚民】もそれぞれミュージシャン兼俳優なんです。


 で、最後に再び「野ばら」。
 僕、この歌、ダメ(良い意味で)なんです〜。矢野顕子ちゃまのピアノソロで聴いた時から取り憑かれてるんですけど、この映画でもヤられました。大人だけのバンドの筈なのに、子どものコーラスとか被せてくれるな! 卑怯よッ!
 もうツボを押されまくりでオジサン泣いちゃうじゃんw


 てな訳でなんだかんだ難癖つけながら結構楽しめた映画でした^^


■『海角七号』日本版予告編


■劇中歌『野ばら』(シューベルト

トルコ料理「イスタンブール ハネダン」 @大阪市福島区福島

belly dance

 
 新年早々「金がない、金がない」とボヤく僕に呆れたのかw、友達がランチを奢ってくれることになりました(^O^)

 「何にする?」と訊かれたので、以前から気になっていてまだ行けてなかった福島のトルコ料理店「イスタンブール ハネダン」に行ってみることにしました。
 なんたってトルコ料理は『世界三大宮廷料理』の一つですからね!


 お店の前(街頭)に置いてあるランチメニューを見ると、800円台〜1600円台までで6種類もあるんです。へえ、エスニック料理にしては安いなぁ…と思いながらビルの階段を上って2Fの店内へ。

 「いらっしゃいませ〜♪」とニコニコしながら出迎えてくれたのは、多分トルコの方なのかな? 中近東な顔立ちの、エキゾチック・ハンサム男性^^
 幸いまだ席は空いていたので、二人で四人がけのテーブルに座りました。
 すぐにさっきのボーイさんがメニューを持って来てくれて、さて、どれにしようかな?


 トルコ料理と言うとケバブくらいしか知らなかったんですけど、ケバブはもちろん、トルコ風春巻き、トルコ風ハンバーグなど色々あるんですね。
 僕は友達の「正月なんやから、豪華なの食べえや」というお言葉に甘えて、一番高い…のは控えて(小市民なんですー)、その次に高い1300円くらいのランチメニュー(レンズ豆のスープ、前菜、ケバブの盛り合わせ、お米のプディング、ドリンク)を。
 友達は、トルコ風ハンバーグのランチ(レンズ豆のスープ、トルコ風ハンバーグ、トルコ風ピラフとパン、ドリンク)を。
 食後のドリンクは、僕は「トルコ風チャイ」を、友達はアイスコーヒーを選びました。
 あと、友達がトルコのビールを頼んでくれたので、それを二人で分けっこしました。


 まずはビールで乾杯!…しようとグラスに瓶ビールを注いだら、もんの凄く泡が出るんですー。ちゃんと冷えてるんですよ。グラスを傾けてゆっくり注いだのに、泡9:ビール1くらいの比率になっちゃいましたw
 ビールの味は、僕がわりと好きな味です。
 ドライじゃないんです。コクと、少々の甘みがあり、マイルドな口当たり。僕は「アラビク」さんとこで箕面地ビールを時々飲むのですが、その「バイツェン」に似てました。


 料理は、まずすぐに出てきたのが「レンズ豆のスープ」。煮込んだ豆を裏ごししたもののようです。僕は豆も大好きなので、じっくり味わいました。塩・胡椒を基本として、あとは何種類かのハーブの香りがしました。(僕はハーブは詳しくないので、具体的に何が入っていたかは判りません。)
 しっかりと豆の味がして、塩辛くもピリ辛くもなく、美味しかったです^^

 スープを食べている間に、友達の「パン」が登場。見た目も味も、パンと言うより「ナン」でした。表面に胡麻がまぶしてあって、焼きたてなのでしょう、レンズ状に膨らんでいます。それを手でちぎろうとしたら、中から思いのほか熱い蒸気が出て来て「アチチチ!」w
 なんとか一切れちぎって、スプーンですくい取れなかったスープをそれで拭って食べました。モッチリした食感で、これもウマウマー♪


 さて、次は僕の「前菜」。これは野菜をオリーブオイルでソテーしたものの三種盛りでした。ナス&トマト、ほうれん草&小エビ、さやいんげん
 これもあっさりした味付けで、野菜の味がよく分かります。スープに続いてとりあえず野菜が出て来るというのは嬉しいですねー。


 二人でそれを食べていると、今度は友達の「トルコ風ハンバーグ」が登場。なんとか一口で頬ばれそうな大きさのハンバーグが、確か5個だったかな?マッシュポテトの上に乗っています。お皿の半分はグリーンサラダ。サラダは普通にサラダでしたw
 ハンバーグは、見た目はふっくらとしているのですが、友達がフォークで二つに切ろうとしたら弾力が強くて切れません。で、フォークとナイフで切ってました。僕も半分もらって食べてみると、どうやらラム肉のようです。でも全然臭みはありません(これもハーブは使ってあると思いますが)。
 いまどきの洋食屋の「フワフワ」なハンバーグと違って、しっかりとした歯ごたえがあって、「ああ、肉を食ってる!」という感触です。多分脂肪分が少ないからでしょうか、しつこさもありません。美味しかったです。


 次に僕のメイン「ケバブ盛り合わせ」。
 皿の半分がグリーンサラダなのは同じで、あとは「トルコ風ハンバーグ」が一個(マッシュポテトつき)と、鶏肉をグリルしたようなもの(一口サイズ)が二つと、プリンくらいの大きさの型に固めた「トルコ風ピラフ」。
 ハンバーグは友達のものと同じです。鶏肉は、表面がラー油をかけたようにオレンジ色になっていたので「あー、やっぱり辛い料理もあるんだ」と思って食べてみたら、全然辛くありません。どうやらパプリカかなんかの色のようです。
 これもそんなに濃い味付けではなくて、見た目よりアッサリしていました。僕にはその方が嬉しいです。


 ピラフは、食べてみると単にあっさり塩味。これも辛くありません。お米はタイ米ではなく日本米でした。
 ただ、そのお米に何やら茶色いものが点々と混じっていたので、お店の人に「これは何ですか?」と訊いたら、「それはトルコのパスタを小さく切ったものです」って。へえ〜。トルコにもパスタはあるんだー。
 でも同じ地中海でイタリアに繋がっている訳ですから、当然と言えば当然でしょうか。


 メインディッシュを食べ終えると、友達にはアイスコーヒーが、僕にはデザートの「お米のプディング」が出てきました。アイスコーヒーは普通にアイスコーヒー。プディングは、陶器の器に入っていて表面に焦がした色が付いていたので、もしかして暖かいのかな…と思って触ってみたら、ちゃんと冷やしてありました。
 スプーンでその焦げた表面を切ってみると、中は白いクリーム状になっています。食べてみるととても甘い。砂糖の甘さです。でも、これも乳製品のプディングではなくお米のプディングなので(少しですがお米のつぶが入ってました)、甘さのわりにはあっさりしていて、楽勝で完食できました。


 プディングを食べている間に僕のドリンク「トルコ風チャイ」が出て来ました。オーダーしたときに友達と「トルコのチャイってどんなんだろうね?」「チャイはチャイやん。インドとかのと同じのんちゃうの?」といった話をしていたんですけど、出てきたものは「ストレートの紅茶(若干ウーロン茶っぽい?)」でした。それとは別の器で砂糖とクリームが出されて、どうやら「トルコ風チャイ」とは「自分の好みの味付けにできるお茶」みたいです。

 僕は甘いプディングを食べた後だったので、そのままストレートで頂きました。甘いお茶だったら、ちょっと「ウヘッ」っとなってたかも知れません。


 という感じで、お値段の割には豪華で美味しく、僕が苦手な(本当は好きなんだけど食べたら滝汗をかいてしまう)唐辛子を使っていない料理ばかりだったので、大満足でした^^
 ちなみに、一番高い1600円くらいのランチは更に品数が多く、写真で見る限りでは「これってディナーのコースとちゃうん?」っていうくらいのものでしたよ。


 帰り際に、店外のメニューでディナーの値段を見てみたら、一皿千円前後の料理が多かったです。恐らくこれは中華料理のように大勢で行ってシェアするのがちょうどいいんでしょう。
 金・土の19:30〜はノーチャージでベリーダンスのショウが見られるらしいです。で、そのことを僕の友達でベリーダンスの教室に通っている子(女性)に話したら、「そのお店はあたしの先生も出演しているのよ」ということでした。
 あらら、それならいつか見てみたい…でもディナーはちょっと高いから自腹では行けないや(^_^;

 トルコ料理イスタンブール ハネダン」
  ・大阪市福島区福島7-22-17 BRAVIビル2F
    (JR環状線福島駅より北へ徒歩約5分)
  ・ランチタイム 11:30〜15:00
  ・ディナータイム 17:30〜23:00(LO.22:00)
  ・年中無休
  ・TEL&FAX 06-6345-7004
  ・HP http://www.istanbulhanedan.com/

『もう一人の自分』に助けられる

ジーン・マハスマットさん(タイのミュ

 
 下の記事を書いたのが、今日の未明です。
 その後なんとか眠れて、朝も這うようにして起きたのですが、午後になってからどんどんシンドくなってきて、何も手に付かない状態にまでなりました。


 すると、その「シンドイ」状態の合間に、まるでスポットCMが流れるように「もう一人の自分」が現れました。
 「辛いからって、朝からロクな食事してないやん? シンドいのは多分血糖値が下がってるからだよ。何か食べなさい。」


 そんな「話しかけ」が何回か断続的にあって、僕も「あー、そういうこと?」と思い始め、とりあえず手元に『たまたま』あった板チョコ(普段はお菓子類なんてまず買わないのに!)を食べました。
 その後しばらくすると、胸を締め付けていた重苦しいモノがスゥ〜っと軽くなっていきました。


 前に書いたかどうか忘れましたが、僕はウツになってから『空腹中枢』もちょっと壊れ気味で、ウツの波の中にいるときは空腹を空腹と感じず、ただ「苦しい」とだけ感じてしまうことがよくあるんですよ。その結果、余計にシンドくなって更に動けなくなり、ますます苦しくなるという悪循環に陥る。


 でも今回はその「もう一人の自分」(身体の斜め上のちょっと離れたところから自分を見下ろしている感じ)がその悪循環を断ち切ってくれました。不思議ですけど、その「もう一人の自分」に救われたのはこれで二回目です。まだどういうタイミングで出現するのかは不明。意識的にこれができるようになるといいな…。
 まだ今はちょっと重苦しい感じがしますが、今回はもうこれ以上は落ちないな、という確信があります。
 

 亡くなった人たちのことを淋しく切なく思うのは、残されたものの使命。
 それを抱えたまま生きていくことが「愛」なんじゃないかな。
 今度また同じような落ち方をしたら、今日の経験を思い出してみなさい⇒自分。